※ネタバレします♪ |
最終回に教祖様が誰にでもわかるように言っちゃってると思うのです。
↓
「人は虚構しか共有できない」
「言葉の記号でしか共有できない」
言葉・文字は記号で、国や時代や種が違えば
簡単には共有できなくなるもの・・・
(かといって、同じ国や時代や種であってもはたして本当に同じ認識で共有できているのか?)
つまり人が作り出した「虚構」 「事実ではない・創作」でしかない
そういえば昔、養老孟司↓のYoutubeで
言葉・音声もただの空気の振動ととらえることもできる・・・みたいな話を聞いたことがあります。
(↑ちょっと話がそれましたが・・・)
■私たちが普段何気なく目にする広告だらけの街の風景、
バス停、太陽、ドア、空間、
すれ違う人々を、どこまで自分で(正しく、こと細かく、他者と同じように)認知できているのか?
このドラマで表現される風景(背景)が
ことごとく『舞台風セット』であったり、
サブの登場人物がたった6人の俳優さんで「使いまわし複数役(約150役)」構成されていたのも
↓
あえて「最低限で共有できる記号」だけを使って表現することで
わかりやすくその『虚構性(と認知の違和感)』という部分をクローズアップする意図があったんじゃないかなと思いました。
■最終回、ラスト・・・岡本の解釈
現実で宗教にすがる人達は基本「救われたい」 「助かりたい」というマインドを持っていると
思うのです。
七つの穴が現れた=『渾沌』※の話でいくと、死にゆくのは日本(日本社会:こちら側の世界)の方で
そこから脱出を試みる人達・・・
※第1話ドラマ・エンディングのアニメにそれらしきものが登場し、7つの穴があけられます。
穴は異世界へ通じています。
↑第1話をみると穴の向こう側の世界でも、人は生きていると描写しています・・・
(本当に生きているのかどうかは戻ってきた人がいないのでわかりませんが、そういう設定)
ただ、
どのみち、岡本にとっては長生きすることが良いことか悪いことかもわからないし
悪夢みたいな夢うつつな日常を過ごしてきたけれども
それでもささやかな良い思い出「ドラム式と猫のいる小さなカフェ」 ・・・
そういう語られるべき自分史を大事にしながら(積み重ねながら)、
このまま滅びゆくこちら側で過ごしてゆくというのもありかもしれないなと・・・
(穴に入ったかどうかはわからない)
というのが最終回のラストシーンだったんじゃないかと解釈しました。
■ベースとなる部分以外は、余白の多いドラマなので
いろんな解釈(妄想)ができて愉しく・・・今時珍しいドラマだなと思いました。
ドラマイムズ「滅相も無い」
(MBS 毎日放送の「ドラマイズム」枠にて、2024年4月17日(16日深夜)から6月5日(4日深夜)まで放送・・・)
監督・脚本:加藤拓也( 「きれいのくに」 「ほつれる」 )
出演者:中川大志 × 染谷将太 ×上白石萌歌 × 森田想 ×
古舘寛治 × 平原テツ ×中嶋朋子 × 窪田正孝 堤真一
ナレーション:津田健次郎
舞台は、巨大な“穴”が現れた日本。
入るか悩む8人の男女は、お互いの人生を語り合う――